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大垣城 「よもやま話 その8」

2014.03.24

▲大垣城残照

▲幕末大垣藩の救世主「小原鉄心」

▲場内にある小原鉄心石碑

 

大垣城よもやま話 8


 司馬遼太郎さんが描いた大垣城と小原鉄心 


  

  司馬遼太郎さんのファンの方なら「峠」という小説をお読みになったことがあると思います。幕末から戊辰戦争への動乱の時代、最後まで武士として新政府群に対抗した越後長岡藩家老・河合継之助を描いた歴史小説ですね。

  その「峠」の上巻・「旅へ」の項につぎのような描写がでてきます。

 

 ・・・途中、尾張から道を変じた。

北上し、木曽川を超えて美濃(岐阜県)に入り、美濃屈指の藩である大垣藩をめざした。人をたずねる。

墨俣で一泊し、翌朝揖斐川をわたると、陽炎のむこうに大垣城の天守閣が見えた。四層四階である。 (小ぶりだが、いい城だ)

と、城外の茶店で休息しながら、継之助は思った。白亜が、蒼天にきらめいている。

しかし、城史は血のにおいが濃い。美濃は戦国騒乱の地であったために、この城は指折りきれぬほどに数多くの攻防戦を経験してといる。

 徳川期に入って寛永年間、戸田氏が城主になり、もう十代続いてきた。美濃は要地であるため幕府はこの大垣に外様大名をおかず譜代大名の戸田氏をおいたのであろう。封地は十万石で、継之助の長岡藩よりやや大きい・・・

 (新潮文庫「峠」P280290

 

小説では、継之助が備中松山への旅の途中で、大垣藩家老・小原鉄心に会うために大垣を訪れるという設定になっています。(史実は、継之助は鉄心を訪問していないようです。尾張から津へ渡っています。)そして、この短い文の中で、司馬遼太郎は「大垣城」の特色・本質を端的に表現しています。ここに描かれる「白亜が蒼天にきらめいている」大垣城はまさに昭和20年、戦災で焼失する前の姿ですね。加えて「城史は血のにおいが濃い」というのも戦国を潜り抜けた大垣城の歴史を端的に表現していると思われます。また、幕末の動乱の中で、長岡藩の河合継之助と同様、大垣藩を見事に明治維新まで導いた大垣藩家老・小原鉄心という人物をも温かい目で描いています。司馬遼太郎さんが「鉄心」を、幕末を生きた注目すべき人物の一人として見てくださっていたわけで、大垣人としてはうれしいところです。

他に、「太閤記」のなかでも「賤ヶ岳の戦い」のあたりで大垣城が登場していますし、「関ヶ原」下巻でも登場します。また、機会があればご紹介します。

                           

                      大垣城