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大垣城 「よもやま話 その6」

2014.03.07

▲旧大垣城「鉄門」(正面)前面がすべて鉄板で覆われています。

▲内側(本丸側)から見た「鉄門」その構造から「高麗門」であることがわかります。

▲廊下橋と鉄門、本丸表門附近(CG)

 

大垣城よもやま話 その6

 

 大垣城「鉄門」(くろがねもん)現る!? 

  城郭は「堀」と「塀」に囲われ、入口として「門」が設けられています。大垣城では、本丸に「鉄門」、二の丸に「筋鉄門」、三の丸に「太鼓門」がありました。そして、内郭は七口(大手・南口・柳口・竹橋口・清水口、龍の口・小橋口)の門で守られていました。お城にとって「門」は大切なものだったのですね。

  今回は、その「門」のお話です。大垣城は、明治の廃城令によって、天守と東北隅櫓を除くすべてが(もちろん「門」もすべてが)破却されたり売却されたりしてしまいましたが、その中のひとつ、本丸への唯一の門であった「鉄(くろがね)門」が現れた!?・・・というお話です。

     

  平成216月、岐阜県各務原市から「大垣城鉄門」と推察される門を中山道鵜沼宿再生のため「景観重要建造物」として移築したと大垣市へ報告がありました。この門は、移築前は各務原市蘇原の安積家にあり「安積門」と呼ばれていました。安積氏が明治13年に城門の払い下げにより購入されたものだということです。この「安積門」が平成20年、各務原市へ寄付され、解体修理したところ、土台に差し込まれた材木に「大垣藩大工奉行」「破損方奉行」「場所奉行」の名前が墨書されていることが判明しました。瓦には、大垣藩戸田家の家紋「九曜紋」が刻まれています。

  「鉄門」は、正面の木の部分(柱、門扉等)をすべて鉄板で覆い、軒下を白漆喰で塗り固めるなど火矢による攻撃にも耐えられるよう作られ、主に城門として用いられていたようです。大垣城では、二の丸と本丸をつなぐ「廊下橋」の先、本丸の入口に設置されていました。この本丸を守る「鉄門」を見ると、大垣城が戦国の時代そして関ヶ原の戦いをくぐり抜けてきた城なのだということを改めて思います。まさに戦いのための城だったのですね。因みに、こうした鉄板で覆われた門は、大阪城大手門、名古屋城表二之門が現存しています。(参考資料:「大垣城の歴史」)

 

  現在、大垣城には「鉄門」はありません。礎石のみが残っています。天守も東北隅櫓も先の戦争の空襲で焼失してしまいましたので、かつての大垣城本丸の建築物としては、この各務原市鵜沼宿の「安積門」(旧大垣城鉄門)が現存する唯一の建築物ということになるのでしょう。各務原市にあったことで、空襲から逃れられたのは運がよかったということなのだと思います。いつまでもその力強い姿を私たちに見せてほしいものです。

  

                        大垣城