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大垣城 「よもやま話 その4」

2014.02.23

▲明治29年大洪水

▲大垣城絵図

▲天守復元CG

 

大垣城よもやま話 4

 

 

 広大な「水の城」~四重の堀で守られた大垣城 

  

  大垣城のことを「広大な水の城」といっても、現在の大垣城の姿からは想像もできないことでしょう。今回のお話では「在りし日の大垣城」に思いを馳せてみたいと思います。

 

  大垣は現在でも町のあちこちから清らかな地下水が湧き出し、水に恵まれた町です。また、木曽三川をひかえ、古くから河川の氾濫による洪水に悩まされ続けてきた町でもあります。(明治29年の大洪水の写真をご覧ください。国宝時代の東北隅櫓と天守が写っています。どれほどの洪水かがおわかりになることでしょう。)

 

  大垣は、いろいろな意味でまさに「水の都」なのです。大垣城は、そんな「水」を最大限活用した「水の城」でした。江戸時代、幕府に提出した「大垣城絵図」(写真)を見てみましょう。内堀に守られた本丸と二の丸は、屋根のついた廊下橋でつながっています。堀は東側が四重、西側が三重で、内堀は本丸と二の丸がつながっているところで幅45間(約82㍍)もありました。まるで池の中に城が浮かんでいるような様子です。まさに「水」で守られた「城」でありました。

  

本丸は面白い構造をしています。本丸中央部より西側を一段高くし、天守と10基の多聞櫓で囲い込み、その周囲を帯曲輪(腰曲輪)が巡るという独特のものです。入口は前述の橋(廊下橋)だけです。狭い本丸なので、建物が混み合って誠に賑やかですね。(写真はCGによる鳥瞰図~本丸周辺)

 

天守は創建当時から現在の場所にありました。二の丸は、お城の南側、現在の護国神社・大垣城ホールのあたり、三の丸はさらに南の郵便局の北あたりになります。江戸時代、「巨鹿城」と言われた、広大な水の城「大垣城」が偲ばれますね。

 

現在は本丸の一部を残すのみの大垣城ですが、在りし日の姿を思い浮かべながら、大垣の町を散策されるのもよいものだと思います。大垣にお越しの際はぜひどうぞ・・・。

                           

   

                      大垣城